21世紀型キャリア授業の試みについて

2017年07月25日

7月8日、筆者は世田谷区のある私立高校に招かれて高校1年生に対するキャリア授業を実施してきた。その学校は、進学研究会が行っている「Vもぎ」という都内で最も標準的な高校入試模擬試験の昨年度80パーセント偏差値でいうと60から65の間に位置する男女共学の中高一貫併設型高校で、筆者が普段足立区で接している中学生たちの志望校とは学力垂直ランキング構造での位置づけが全く異なる区内上位高校の1つである。

このブログの最初の記事で述べたとおり、日本では高校受験が長らく学力に基づく選抜方式を採用していることから、学力に基づいた高校単位の垂直ランキング構造による将来の就職に関わる学校単位トラッキング制度が形成されている。そして、もし仮に生徒の学力と出身家庭に大きな偏りがある場合、学校トラック別に同質集団が形成されて大学進学希望が高校階層別に分化され、それが生徒の学習時間を左右して学習行動格差を生むという、いわば学習行動に対するトラッキング効果が生じているということが推測されるのである。

そこで、今回のキャリア授業では、実際に都内の上位私立高校でどの程度のトラッキング効果が生じているのか、多少なりとも観察してみようと考えて講義内容を考えてみた。具体的には、高校1年生にはやや難しいと思われる明治以来の日本の教育制度と人材育成の方向性の変化を筆者なりに概観するとともに、アメリカの心理学者であるアブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow)が提唱した欲求階層ピラミッドの各階層と職業との関連性について、その学校に通う生徒たちの親が就いている代表的な職業のいくつかを位置づけて解説した。

さらに、21世紀の職業選択が人工知能とロボット化の影響を受けて大きく変貌しつつあることを踏まえて、今後の職業選択に関するイメージとして仕事重視であるか組織重視であるかをX軸とし、長期雇用か短期雇用かをY軸とする4つのグループに分化するであろうと説明してみた。

具体的な職業グループの位置づけについては、まず第1象限に位置するのが、仕事重視かつ長期雇用が原則として保障された少数の専門家集団である。研究者やキャリア公務員、医師、弁護士などはこのグループに属する。第2象限に位置するのが、1990年代のバブル崩壊まで高度経済成長期に職業人の多数派を占めていた組織重視かつ長期雇用のゼネラリスト集団である。ただし、このグループは景気低迷と終身雇用・年功序列制度の解体という日本社会の構造変化の直撃を受けて、相対的に占める人口と勢力が次第に弱まってきつつある。先に述べた人工知能とロボット化の影響を将来最も顕著に受けるのも、おそらくこのゼネラリスト・グループとなるであろう。

そして第3象限に位置付けられるのが、組織重視というか組織従属ではあるが短期雇用が保障されるに過ぎない短時間・派遣労働等の非正規雇用者集団である。2016年の労働力調査の集計によると、非正規雇用の労働市場における割合である非正規雇用者比率は37.5%で、景気の回復とともに今後減っていくことが見込まれるが、趨勢としては日本の全雇用者中の約3割以上が非正規雇用者集団として増加している現実を筆者は生徒たちに伝えた。

最後に仕事重視かつ短期雇用ではあるが、他の3つのグループと比較しても際立って高い報酬の得られるプロフェッショナル集団が第4象限に位置付けられる。代表的なのはプロ野球選手などであるが、実際の授業の際には高校生たちにわかりやすいように、今話題となっている早実の清宮幸太郎君の例を引いて、彼にプロ野球で成功する能力と自信があるのならば、敢えて早稲田大学に進学する必要はないと私見を述べておいた。

さて、本題のトラッキング効果を探るためには同校の1年生たちの学習行動意欲を観察する必要がある。実際、この高校では生徒たちのキャリア授業選択に関する事前アンケートに加えて後日聴講生たちが書いた感想文が講師に対して送られてくるから、筆者の授業を聴講した生徒たちの学習行動意欲を部分的に観察することが可能になっている。

そこで、聴講した生徒たちが後日学習行動意欲を感想文に示しやすいように、前述した各職業グループに実際に就職するための困難さの度合いを自分の経験を踏まえて解説してみた。それは、非正規雇用者(増加型)→ゼネラリスト(多数派)→専門家(少数派)→プロフェッショナル(希少型)の順番で将来就職することが相対的に困難であり、そのために必要な学習などを含む努力量の格差は等比級数的(?)に増大するという現実認識を高校生であるうちに認識してもらうことであった。

実際に当日話した授業内容のポイントは、「20世紀に求められた日本人と職業」および「21世紀に求められる日本人と職業」についての比較に関する筆者の私見であり、上記の4つのグループの職業イメージの一体いずれに生徒たちが自らを位置付けるのか、今から考えておいてもらうことであった。まず、「20世紀に求められた日本人と職業」については、a. 日本は弱小国家であり、早急に欧米に追いつく必要があったこと。したがって、戦前は富国強兵、戦後はアメリカに安全保障を委ねてもっぱら経済成長を重視してきた事実を解説した。

そうした事情を踏まえて幕末の開国以来、和魂洋才を兼ね備えた人材が日本ではずっと理想的と見なされてきたことを話した。

次に庶民層については、b. 多くの人が農業に就くにも商業に就くにも勤勉な努力が必要とされてきたこと、そしてサラリーマンは、高学歴と年功序列で安定した生活が保障されてきたことを指摘した。実は、こうした日本独自の開発後進国型発展システムを支える重要な要素として、旧帝国大学によるエリート養成教育と庶民層の能力を一定水準に維持するための義務教育制度がそれぞれ機能してきたことが考えられる。さらに言うと、戦前の私立専門学校と戦後の私立大学は国家的エリート層と庶民層の二極分化の間隙、つまり中間層に対する教育を埋める役割を果たしてきたことが言えるだろう。現在の中高生に顕著に見られる学力上位層と下位層の二極分化は、中間層の没落か消滅により、日本に慣習的に根付いた教育システムを根底から破壊しつつあるのではないだろうか。

したがって、筆者が最後に生徒たちに伝えたのは、c. このみんなで協力して頑張る日本型発展システムは、90年代のバブル崩壊により経済成長が止まると、もはや成り立たなくなったという社会認識であった。

つまり、21世紀の日本社会は少子高齢化で人口が減少しており、経済成長は止まって、貧富の格差が継続的に拡大している。相対的貧困の世代間連鎖が統計的に明らかになっているが、国の財政は借金だらけの状態で年寄りにも子供にも、もはや十分なお金を再分配してあげることはできないということを高校生たちに話してみた。

そういう我が国の現状において、君たちはいかなる職業を将来選択し、学習意欲を高めて努力を積み重ねていくべきなのか、その点を高校生の時期に改めて考えてみてはどうかということが筆者による聴講生たちに対する最終的なメッセージであった。その際には、不断の学習と努力の積み重ねが大事であることは間違いないことであるが、努力の目的を単に大学に合格するといった私利私欲の達成という矮小化されたものに限定すべきではなく、自分の個性発揮による「自己実現」(先述したマズローの欲求階層最上位に位置する価値)が、同時に社会貢献と結びつくような形を模索していくべきであろうということをアドバイスしておいたのである。

筆者の今回のキャリア授業の内容は、高校1年生を対象とするには少し難しすぎた嫌いがあったと反省している。当日、担当の先生からは、筆者がそうした反省を述べたところ、「まだ高校生ですから、社会問題はよくわからないかもしれない。だが、簡単な話ばかりではかえって授業になりませんから、ぜひ来年もよろしくお願いします。」と励まされて(?)しまった。普段仮初めにも教育の一端を担う仕事をしている身としては、なかなか考えさせられるキャリア授業の経験であった。

先日、聴講生たちの感想文が筆者のもとに郵送されてきた。残念ながら、筆者の授業内容が当初もくろんだ程の生徒たちの学習意欲の向上に寄与したかどうかについては、明らかな感想は見られなかった。やはり内容が難しすぎたのかもしれない。かえって目についたのは、筆者が高校生の頃、世田谷区の自宅から厚木市内の高校まで約1時間30分の遠距離通学をしていたことを引用して、「自分も毎日学校まで遠距離通学しているが、小塚さんが言われた毎日の電車通学の時間を利用して英単英熟語を暗記したということをやってみようと思う。自分は理系だが、研究者を目指して英語を頑張ります。」という感想を書いてくれた女子生徒の文章であった。つまり、小難しい話よりは筆者の高校生時代の実体験談の方が、むしろ聴講生たちの学習意欲を高める効果があったのかもしれないという新たな発見があったのである。

小塚 郁也 | 2017 | Salam !
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