学力の二極分化と階層差の克服方法について

2017年06月07日

筆者がボランティアで教えている中学生の学力について考察してみると、家庭の事情や不登校のためか中学3年生の段階に至っても十分な学力を身につけていないケースが多々見られる。

特にその後の人生に与える影響力が強いと思われる、英語と数学の学力が非常に低い場合は看過できない問題を孕んでいる。2014年3月に発表された松繁寿和大阪大学大学院教授を研究代表者とする「学力の規定要因分析最終報告書」42頁によると、英語と数学は理科とともに将来の高所得に直接結びつくと指摘されているからである。

私が主に学習支援している中学生たちの多くは、俗によく言われるような数学について分数の計算もできないというほどではない。分母を通分して、分子を処理するという計算手続きはマスターしている場合がほとんどである。だが、分子の計算にカッコが加わり、符号がマイナスとプラスの掛け算とかになると計算間違いが非常に多くなるという、根本的に解決すべき問題がある。

日本語で学習できる数学については、たとえ苦手でも勉強できるからまだよい。数学の指導については、学校の授業のカリキュラムを無視して、その子が理解困難に陥った時点まで遡って地道に復習することで時間はかかるが克服が可能であると考える。

問題は英語である。こちらはまず単語のスペルを書けないことはもちろん、単語をある程度正確に発音して読むことができない状態に陥っているケースが中学生で多々見られる。英語という教科は外国語学習であるから、単語が読めないのでは満足に辞書を引くこともできず、したがって教科書を音読するという最も重要かつ効果的な学習に取り組むことができなくなってしまう。そうなると、音読できない文章を聞き取ることはできないから、リスニングは全くお手上げという状態になる。

そこで、最初の学習指導としては単語の暗記を真っ先に勧めるわけだが、単語を読めない状態の子たちは既に英語の習得に諦めムード全開で、「日本国内から出ないのになぜ英語を勉強しなければならないのか」という昨今の日本の置かれた経済と国際環境から乖離した質問を投げかけてくる。

そこでこちらも、「2020年の東京オリンピック・パラリンピックで外国人が多数来日するから、自分から外国へ行かなくても君たちは英語を使う必要がある」と、内心忸怩たる思いで本質からずれた回答をして当面の彼ら彼女らの学習モチベーションを維持しようとするわけである。

だが、学力階層中下位グループの中学生は教育社会学で既に指摘されているように、現実の学歴社会イメージを持つ認識が弱く、学習と進学意欲がなかなか高まらないのが実情である(同上、43頁)。

ここで注目すべきことは、諸外国と比較した日本の若者の自己肯定感の低さが、学習意欲の低さと相関している可能性である。例えば第38回教育再生会議(平成28年10月28日)に提出された参考資料2のデータによると、平成25年度13~29歳の統計で「私は自分自身に満足している」という質問に対して、日本では「そう思う」7.5%、「どちらかといえばそう思う」38.3%の少なさに比べて、アメリカでは「そう思う」46.2%、「どちらかといえばそう思う」39.8%、隣の韓国でも「そう思う」29.7%、「どちらかといえばそう思う」41.8%の多さである(同資料スライド3)という事実だ。そして、平成28年度全国学力・学習状況調査の結果から、各教科正答率が低いほど自己肯定感も低いことが指摘されている(同スライド7)のである。

先に述べた「学力の規定要因分析最終報告書」第3章は高校学科別の基礎学力の二極化傾向を指摘しているが、例えば国語Ⅰについては普通科・専門科を問わず、基礎学力は単峰ほぼ正規分布を示している(同上、17頁)にもかかわらず、数英二科目については普通科で共に双峰性、つまり学科内基礎学力が二極化している事実が指摘されている(同上、19-20頁)。

つまり、国語はまだしも、数学と英語については一般的に言われる通り、普通科に通う高校生の基礎学力が二極化していることが実証されたわけである。

では次に、なぜ日本の高校生たちの英数学力の中間層が薄くなって上位層と下位層に二極化したのか、その原因を考察する必要があるだろう。

この点について、先に述べた「最終報告書」の第4章が、努力と出身家庭や教育制度との関連性について分析しているのが参考になるだろう。この章は、トラッキングと高校階層構造と努力との関係(同上、27頁)をテーマにしているのだが、ここでいうトラッキングとは、学力によって生徒を異なるコースに振り分けることで、例えばアメリカでは既に大学進学準備コースと職業教育コースをトラッキングする制度自体が撤廃されており、ただし履修科目パターンの違いでトラッキング効果が残存しているに過ぎないとされる(同上、27頁)。

これに対して我が日本では、高校受験が長らく学力に基づく選抜方式となっていることから、学力選抜に基づいた高校単位の垂直ランキング構造による学校単位トラッキング制度を採用していることになる。そして、もし仮に学力と出身家庭に大きな偏りがある場合、学校トラック別に同質集団が形成されて大学進学希望が高校階層別に分化され、それが生徒の学習時間を左右して学習行動格差を生むという、いわば学習行動に対するトラッキング効果が生じるのではないかという仮説が導出されるのである(同上、27-28頁)。

親の属する社会階層が生徒の努力量格差を生じさせ、それが高校階層構造を媒介して生徒の学習時間を分化させるという論理は、偏差値による高校階層が顕著なわが国では直感的に納得できる仮説であるが、具体的な実証については同章33頁表4のデータが参考になるだろう。

すなわち、同表では、上位25%(偏差値56.7~8)以上の階層に属する高校では進学希望が88.4%、1日3時間以上の長時間学習者が58.0%、学習しない者が6.4%であるのに対して、下位25%(偏差値43.2~3)以下の階層に属する高校では進学希望が19.8%、1日3時間以上学習者が3.0%、無学習者が68.4%と示されており、見事に仮説が裏付けられた結果となっている。

高校階層構造に基づく日本固有のトラッキング・メカニズムが努力格差を生み、進学希望を左右して生徒の学習行動を分化(二極化)させている事実は分かった。では次に、その背景にいかなる社会的・家庭的な環境要因があるかを認識し、また、いかにして上位層と下位層間の努力格差を埋めていくのかが学習指導上の重要課題となるだろう。

この点に関しては、『論座』2002年11月号に掲載された「関東地方小学生六千二百人学力調査「先鋭化する学力の二極分化」」という記事が参考になるだろう。同調査は算数だけだが、129問の出題について全学年にわたって基礎学力を測定した貴重な資料を示しており、「ある学年の児童が得た得点が一学年下の児童の平均得点を下回る」場合を「学力遅滞」、逆に「ある学年の児童が得た得点が一学年上の児童の平均得点を上回る」場合を「学力速進」とそれぞれ定義して、以下のような興味深いデータを示している(同誌、218頁)。

すなわち、調査の結果、2002年時点で6年生の2割弱(学習指導要領改訂以前の1982年時点のデータで再定義し直すと3~4割)が5年生の平均得点を下回る「学力遅滞」状態で卒業しているのに比べて、低学年の4、5年生の約2割が「学力速進」であるとされ、言い換えれば小学校高学年時点で既に学力の二極分化が進んでいるという事実である。

さらに、「遅滞」層の7~8割は父親が非大卒で、逆に「速進」層の7~8割は父親が大卒であり、そのことから家庭の経済・文化的背景が学力に影響していると分析している(同誌、220頁)。

筆者が最も興味深かったデータは、双方の努力量の差を厳然と示している次の数値であった。すなわち、児童の父親が大卒の場合、毎日の平均学習時間が50分なのに対して、父親が非大卒の場合のそれが31.5分と毎日20分弱の努力格差が存在していることである(同誌、220頁)。

さらに注目すべきなのは、双方がたとえ同じ学習時間、例えば両者とも同じ学習時間0分であった場合でさえ、なお階層学力差が残る事実である。つまり、学習時間が共に0分の時点で父親大卒階層は80.4%の平均正答率であったのに対して、父親非大卒階層では70.1%の平均正答率に過ぎず、同誌223頁の図3のグラフによると後者(父親非大卒階層)が前者(父親大卒階層)の平均正答率80.4%まで挽回するには51.7分の追加学習が必要であり、さらに前者に追いつくためには79.5分の学習を追加する必要があるということである。

つまり、父親大卒階層の児童には最初から「初期的優位性」があり、父親非大卒階層の児童は同等に学力を伸ばすために余分の努力を必要とするという厳しい現実がある。

そこで、初めの話に戻って、筆者がボランティアで教えている中学生の学力向上のために必要な追加学習時間を算定してみると、『論座』の記事に基づけば、最初の努力格差約20分+挽回に必要な努力量約80分=約100分間、追加で毎日学習しなさいと指導しなければならないことになるだろう。果たしてこれが現実的かどうか、さらに検討の余地があるだろう。

小塚 郁也 | 2017 | Salam !
Powered by Webnode
無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう